狭山不動尊 ( 狭山山不動寺 ) | 時と場所を超えたお寺のテーマパーク【西武球場前】

埼玉西武ライオンズが必勝祈願を行う寺として知られる「狭山不動尊 ( 狭山山不動寺 )」に行ってきました。

西武グループが各地のプリンスホテルを開発する際に、各地の文化財を集め、当時のオーナーと親しかった寛永寺の助力により、天台宗別格本山として建立したという歴史を持つ比較的新しいお寺です。

由緒ある建造物が全国各地から移築されていて、まさに「お寺のテーマパーク」なのです。

狭山不動尊について

1950年代西武鉄道により造られたテーマパーク「ユネスコ村」に、太平洋戦争の空襲により荒廃した増上寺から、徳川家霊廟部分を買収した建造物を設置したことが由緒の始まり。

というか、そんな歴史ある建造物を買収できる財力半端ない!

ユネスコ村が閉園してから、その一部がここ狭山不動尊となりました。

天台宗別格本山の寺院で、山号は狭山山、寺号は不動寺。本尊は不動明王です。

狭山不動尊の境内案内図

所狭しと建造物が並んでいる様子がわかる

境内の案内図を見てもわかる通り、たくさんの建造物が立ち並ぶのがわかります。

この案内図としては統一感がありますが、実際のところはどうなのでしょうか。ワクワクしますね。

お寺のテーマパークを散策

勅額門

勅額門

「勅額門」は、1632年(寛永9年)に芝の増上寺内に建立された、徳川幕府2代将軍徳川秀忠の霊廟の門です。

霊廟 (れいびょう)  
「みたまや」ともいう、祖霊を祀る施設のこと。 身近なものとしては、神道の場合は仏教のお仏壇にあたる祖先の霊を祀る場所として、「御霊屋(みたまや)」「御霊舎(みたましゃ)」を自宅に置き、日々祖先に感謝する。 仏教においても仏壇や先祖をお参りする部屋なども広義では霊廟となる。 また、室内墓地や室内霊堂なども霊廟という場合がある。

引用元:霊廟 (れいびょう)とは・意味 [お墓・墓地のことば事典] – 美郷石材

今から380年以上も前の建物と考えると、それだけでも凄いことだということがわかります。

戦時空襲を受けても、なぜ焼失しなかったのか

勅額門

見事な彫刻がである

「台徳院」と書かれた扁額が、江戸時代の後水尾天皇の筆によるものから勅額門と呼ばれるようになりました。

こちらは国の重要文化財に指定されています。

御成門

御成門

「御成門」は同じ台徳院廟に建立されていて、飛天の彫刻や絵画が多く描かれています。

「勅額門」と同様に1632年(寛永9年)建立、こちらも国の重要文化財に指定されています。

不動寺総門

不動寺総門

道なりに進んでいくと、さらに厳つい巨大な門が姿をみせます。

長州藩主毛利家の江戸屋敷に建てられた門が「不動寺総門」として建っています。

下から見上げるかたちなので、その姿は豪快そのもの。まさに武家屋敷の門に相応しい姿。

門の奥には本堂がのぞきます。

第一多宝塔

第一多宝塔

「第一多宝塔」は、大阪府高槻市梶原にある畠山神社に1555年(弘治元年)に、美濃国林丹波守が建立したとされていて、歴史としては「勅額門」よりも古いということになります。

屋根の隅木に1607年の墨書が発見され、やはり桃山時代の建造物であることが判明しました。

細部の装飾に、桃山時代の特色が表れ形も良いことから、埼玉県の有形文化財に指定されています。

第二多宝塔

第二多宝塔

「第二多宝塔」とありますが、「第一多宝塔」とは一切関係がありません。

兵庫県の由緒ある椅鹿寺に建立されたものを移築したもので、室町時代1435年(永享7年)まで遡ります。

そもそも、なぜお寺に仏塔である多宝塔があるのが

康信寺

康信寺

ユネスコ村時代には孔子廟だったとか。確かに色合いとかも中国っぽさがあります。

寺の境内に孔子廟だと違和感がるので、西武創始者の法名に因んで「康信寺」と名付けられています。

周りに生えている竹がいい雰囲気を醸し出しています。

『羅漢堂山門』

羅漢堂山門

通常は開きませんが、柵に囲われたエリアの山門にあたるのが「羅漢堂山門」で、昭和29年に東京虎ノ門の元田中平八邸から移築した門です。

門には三葉葵の紋が。なぜ徳川家の家紋がついているのが

羅漢堂と唐金灯籠

羅漢堂と唐金灯籠

中には入れないので外から見るしかない「羅漢堂」は、明治の元勲として有名な井上馨の屋敷内に、名工根本茂樹が建立したもの。

その周りには、全国の大名から台徳院霊廟に寄進された貴重な「唐金灯籠」がデデデンと並べられています。

これらの組み合わせ自体もだし、なぜ中に入ることができないのかも

入ることができないからこそ惹かれるスポットなのかもしれません。

桜井門

桜井門

奈良十津川の桜井寺から移築された「桜井門」。

桜井寺は幕末の志士・吉村寅太郎等が十津川で起こした天誅組の本陣に使われていました。

天暦年間(947~957年)桜井康成の創建と伝えられる寺院なので、平安時代に建立されたものなのでしょうか。

大黒堂

大黒堂

歌聖・柿本人麿縁りの地、奈良極楽寺に建立されていた歌塚堂で、昭和38年に移築されたものです。

ご本尊は、寛永寺山内の見明院に奉安されていた大黒天様。

弁天堂

弁天堂

井伊直孝のご息女が追善供養のために、滋賀県彦根市の清涼寺に建立したもので、1659~1693年の間のものと考えられています。

ご本尊は、上野不忍池弁天堂から迎えた弁天様。こちらもかつては寛永寺山内に奉られていました。

なんだか、ここまでくると異種格闘技戦みたいなもので、違和感を感じなくなってくるのが不思議です(笑)。

丁子門

丁子門

「丁子門」は、お江の方の墓所の通用門として「勅額門」「御成門」同様、寛永9年(1632年)に芝の増上寺内に建立されました。

こちらも国の重要文化財に指定されています。

なお、焼失を免れた残る1棟の「惣門」は、東京都芝公園の増上寺にあります。

まとめ

  • 様々な時代と場所の建造物があり、まさにお寺のテーマパーク
  • たくさんの謎が魅力にもつながっている
  • 西武グループの財力はやっぱりすごい!

ゆっくりと見て回ると結構なボリュームがあって、なかなか楽しめるスポットです。歴史や建造物に興味がある人は行ってみると面白いのではないでしょうか?ちなみに訪れたのは2019年1月です。

INFORMATION

スポット名 狭山不動尊 ( 狭山山不動寺 )
住所 所沢市上山口2214
アクセス 西武狭山線「西武球場前駅」から徒歩5分
駐車場 あり


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